笑えるセールスマン平手です!
ぼくのことに興味を持ってもらってありがとうございます。
と言ってもお前誰だよってなると思うのでまずは自己紹介をしようかと。
この記事は長いので時間がある時にでも読んでもらえると嬉しく思います。
サクッと読むための目次
コンプレックスだらけだった幼少期
1979年生まれの気がついたらアラフォー(本人自覚なし)
岐阜県のそこそこの田舎に生まれ人生の大半を地元を中心に活動する。
小学生の時はアトピーに悩まされ、プールの授業の時に気まずい思いをする。当時はポテチなどのお菓子もめっちゃ好きで割とぽっちゃりしてた。もちろん体重測定の日なんかは仮病を使ってでも休みたいくらいだったがそんな勇気もなく馬鹿にされる経験をする。
そんなコンプレックスだらけだったんだけど謎のポジティブシンキングで当時からネタにしていたのはいい思い出w
当時は色々といじられたような気もするけど今から思うと捉えようによってはイジメだったのかなーって思うけど本人は全く気にしてなかったたら問題はない。
むしろ、今でもぽっちゃりしているしアトピーどころか最近では頭皮がかゆい。やばいな…
もしかしたらこの時にポジティブシンキングが養われたような気がする‥
バイトとの出会い
なんだかんだ高校生になってまさかの3年間男クラスになりこれは色んな意味でやばいと思い一大奮起をしマクドナルドでバイトを始める。
完全に女の子がいそうなベースで探したのは言うまでもない…
結果やりたいことも特になくなんとなく過ごしていたなーと書きながら反省w
ただ、この時期にポジティブシンキングのベースができたと思うし、そつなくこなすことを覚えたので結果的に良かったし自分の短所をネタにしていたことでいつの間にか長所と短所は紙一重ってのが自然に身についた。
大学生の彼女もできたし、仕事に対する考え方のベースもここで培われたような気がする。
仕事上での気の使い方、立ち回り、効率化などクソガキながら考えて行動してたなあ。
バイト中心の生活だったから学校では寝て、バイトを毎日のようにする。そんな生活。
社会に出てからの違和感
ぼくは高卒で社会に放り出されたのだけど時代はバブルがはじけて超不景気。
初めて就職したそこそこの大手の工場は残業はほぼなし、土日休みで労働時間は程良かったけどなんせ給料が少ない。ざくっと手取りで14万くらい。
今でいうと派遣社員の方が稼げるやんと思いながらも6年くらい務める。
そこで感じたのは
バブルを経験した人は仕事ができないの人でも自分より給料が高い現実
なんですね。
ほんとこれ違和感しかなかったし正直ムカついた。
若かれしころの自分はそれが許せなくて仕事のできないおっさんに普通にキレてたりなんてしょっちゅう。
まあまあの大手企業だったがこれだと所属する意味無いし、それならやりたいことやろって思いアパレル販売の道に。
借金まみれのアパレル販売員時代
元々服好きだったし同じくらいの給料だったけどめっちゃ楽しかった。初めての販売だったけど売れた時のなんとも言えない達成感は今でも忘れてないくらい。感謝。
ただあまりお客さんが多い店ではなかったのでどうすれば売れるかめっちゃ考えたし試した。このころは大して売れなかったけどぼくの販売スキルの原点はここにあったりもする。
でも結果苦しんでしまったのだけど理由はお金。
当たり前のことだけどアパレル販売って服を買って着て見せて売る仕事で欲しくなくても買わざるおえない職種だったりする。
クレジットカードを切りまくり、さらに消費者金融でお金を借り総額100万くらい。
クレジットカードって支払いを無視し続けると裁判所から呼び出しが来て普通に判決とか出るから驚きだ。自業自得だけど。
そんな中まさかのスピード違反で捕まり罰金6万になっちゃって首が回らなくなっちゃって夜中にバイトをするしかなくなって1年半くらい睡眠時間3時間くらいで働く。それでも合わせた手取りで20万くらい。
このころからお金に対する執着心ができたのは言うまでもない。
今となってはこれもいい経験。
ただお客さんや周りのスタッフには恵まれていたのでこれには今でも感謝しています!
まあ結果的にしんどくなっちゃって違うアパレル販売に転職したのだけどそこは給料も手取り20万くらいでボーナスもあってやっと安定を手に入れた気がした。
この辺からなんでも売れるようになってきて充実していたりする。
でも人間現状に満足できない生き物でこのままアパレルやっててもいいんかなーと思い退職。
アパレルたのしかったなー またやりたいなー って実は思っていたりw
こうしてやりたいことをやったものの違和感や現状不満足を理由に逃げてばかりだった気もするけど学んだことや経験は今でも財産になっていまーす!
心肺停止
アパレル業界を去って次に向かったのは営業の世界。
ただ入った会社はブラック企業。朝7時半から終電までひたすらテレアポと営業資料作り、そしてロープレ。給料は前職とさほど変わらなかったけど今度は休みがほぼない。
結果出せなかったら出るまで働けみたいな社風で超体育会系。今までにない経験で体力的にはメチャきつかったけどついに倒れてしまった。
気がつかないうちに病気になっちゃったんだけど自覚もなしで病院行ったら倒れてまさかの心肺停止。
病名はバセドウ病でどんな病気かというと
バセドウ病とは、甲状腺ホルモンが過剰に分泌され、甲状腺機能が亢進する病気です。
バセドウ病では特殊な「抗体」が作られ、これが甲状腺を刺激して、過剰に甲状腺ホルモンを分泌させてしまいます。
バセドウ病は男性より女性に多く、200~500人に1人くらいがかかっています。http://harecoco.netより引用
簡単にいうと、何もしていなくても体の中は常に全力疾走している状態で体力がなくなっていく病気。
この病気が直接の死因ではないのだが心臓肥大からの心不全で心肺停止になった。
でもこの時はめっちゃ痩せてて男前だったから写真載せときますw

一週間ほど意識がなくて筋力がなくなって寝返りも満足に打てないし歩けない。
しかも色々失ってしまった。
- お金
- 仕事
- 健康
もう最底辺まで落ちたのだけどリハビリもあったから普通に働けるまで半年以上かかったのは言うまでもない。
この時に感じたのが
一度終わった人生だから怖いものなんてないしおまけみたいなもん
ってことなんだよね。
このころからやりたいことをやろうって考えになって、自分の中のリミッターが外れたような気がする。だってお金があっても死んだら意味ないし無かったとしても死なないしそもそも税金なんて言い方変えたら罰金やんって思っちゃったりかなりのネガティブからの開き直りみたいな感じ。
でも仕事はしないと生きていけないから働いた。当時は立ち仕事はダメって言われていたから座れる仕事ないかって携帯販売の道へ。
営業の世界へ
今まで販売の世界で生きてきたが営業は初めてだったので初めは違いに戸惑った。
全然売れなかったから先輩のマネもしまくったし本も読みまくった。
とりあえずお金が無くて借金も返していかないといけなかったのでどうしても歩合を取りに行く必要があった。
なんだかんだ入社半年くらいで成約率70%くらいになり、まさかの全国30000人中1位の実績を叩き出すまでになった。
ただ当時の社長が変わり者で、あることないことイチャモンつけてくるしピンハネ具合も把握していたので意を決して独立。今に至る。
今となってはその社長も反面教師で勉強になったし社員がついてこない方法を学べたので良しとしている。もちろん二度と会うことはないし僕の人生にとっては関係ない人だけどw
もちろん今は横のつながりを大切にしているしついてきてくれる子たちのケアもしているつもり。
ただ、その社長のせいかわかんないけどあまり人を信用できなくなっちゃったけど。
それはそれでさみしいことかもしれないけれど結局会社は守ってくれないから自分の身は自分で守るしかないってことを学んだ。
その思いは今も変わらないし間違っていなかったと感じている。
独立してこれからのビジョン
とは言っても既に独立して2年以上。
サラリーマン時代よりはお金も自由も手に入れたのだけどやっぱり現状不満足。もちろん今の仕事を辞めるわけではないけど。
ちなみに今は何してるかっていうと
- 販売研修講師
- 店舗コンサル
- 副業、企業コンサル
- オンラインケータイ教室
- コミュニケーション能力向上アドバイザー
業界問わずやっている。
そこで現場に入ったりもしているんだけどやっぱり感じるのが
売りたいのに売れなくて悩んでいる人が多いってこと。
だからそんな悩みが解消できるように自分のノウハウや気づきを発信していこうと決意。
今の自分があるのは周りに人がいてくれてたから。
もちろん一人では仕事はできないし、貧乏時代は色々な人に救われた。
だからこそ自分の知識が誰かのお役に立てば嬉しいし、お役に立つと信じている。
出し惜しみしないことで喜ばれるし自己成長もするので、これからもそのスタンスでやっていく次第だ。

あらためてごあいさつ
ここまで読んでくださりありがとうございます!
笑えるセールスマンすげーやんとかおもろいやんって思ってもらえたら嬉しく思います。
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